100周年記念誌「時代を超えて-Always Reaching Higher-」
43/60

41YOKOGAWA 100th Anniversary開発は苦労の連続であったが、ER(ElectronicRecorder)形電子管式自動平衡記録計と命名された同装置は、1951年9月に初出荷を迎えた。出荷後もトラブルが多く、社内では会社の将来を危ぶむ声すら出たが、方向性の正しさを確信する当社は開発を継続、改良を続け、周波数・温度・流量・液位・pH・ガス分析・硫酸濃度などさまざまなER計器を開発した。 さらに1952年からは、真空管を大型のST管から当時最先端であった小型のMT管に切り替えると同時に、180mmのチャート幅や記録紙の折り畳み方式など、後に米国勢も採り入れる仕様を盛り込んでいった。このER計器開発の当社にとっての意義は3つ。1つ目は、部門を越えたチーム方式による研究開発の優位性を明らかにしたこと、2つ目は、工業計器に電子管を国内の業界で最初に取り入れて他社に一歩先んじたこと、そして3つ目は、工業計器中心の生産体制への転換によりその後のオートメーション時代をリードし当社の飛躍的発展をもたらしたことである。 当社の工業計器市場への進出は、復興から近代化へと進む日本企業の動きに見事に合致したが、企業の需要に応えるには技術的蓄積が不足しており、大手企業の追撃も予想された。これに対し当社は、海外先進企業との提携で対応することを決め、1955年に、ベンディックス社とウルトラ・ビスコソン(粘度計)、マグネトー(磁石発電機)、ハーネス、点火装置などの個別製品で技術・販売提携を、また米国4大工業計器メーカーの1社フォックスボロ社(The Foxboro Co.)と技術の相互利用および日本での独占販売権に関して提携を結んだ。 フォックスボロ社との提携は、先方製品の仕様を一切変えられないなど不利な条件もあったが、得意先の要請に応えられていなかった機械式(空気圧式)計器分野におけるラインアップ不足を補うとともに、自社の工作技術を向上させる面で大きく寄与した。また当社の電子管式記録計とフォックスボロ社の空気圧式調節機構を組み合わせたERZ形電子管式記録調節計というヒット製品も生み出すに至った。 一方当社は、1950年代から工業計器を納入するだけにとどまらず、鉄鋼、化学、電力などの企業における計装工事も手掛けるようになった。日本経済は、神武景気(1954年12月~1957年6月)、岩戸景気(1958年6月~1961年12月)、オリンピック景気(1962年11月~1964年10月)と連続する好況で高成長を続け、企業の設備投資はほぼ一貫して増加し続けた。当社も、電力会社の系統網の電圧・電流・電力等の状況を計測・計算する交流計算盤の完成(1956年)、航空補器生産の横河航空電機株式会社設立(同)など事業を拡大、本社工場の改築・再編(1957年)も実施した。さらに米国や台湾など海外市場へのアプローチも開始した。飛躍を決定づけたのが、1959年のECS(Electronic Control System、全電子式自動制御装置)の完成である。トランジスタやダイオードを用いて小型化を図り、各種の測定値を全て0から10ミリボルトの統一電圧信号に変換して通信を行うようにしたことで、各種計器の互換性を確立し、量産化・モジュール化を容易にした。これによって小規模プラントには空気圧式、大規模プラントには全電子式を提供する体制が確立、工場や水道施設のオートメーション化に向けた計装工事も増加した。売上高は1955年の約17億円から1960年には約73億円へ急増した。そして同年、山やまさきいわお崎巖が社長に就任し、高度成長の本格化と開放経済に対応することとなった。米国2企業との提携フォックスボロ社ECS(Electronic Control System)全電子式自動制御装置ER(Electronic Recorder)形電子管式自動平衡記録計高度成長下での拡大山崎 巖

元のページ  ../index.html#43

このブックを見る