45YOKOGAWA 100th Anniversaryむことができ、制御システムのユニット化による最適構成、CRTディスプレイによる集中監視・操作、システムの柔軟な拡張性と計装工事の簡素化、生産管理用コンピュータとの一体化を世界で最初に実現することができた。 またCRTに初めて接するプラント運転員のために、CRTディスプレイには運転員が慣れ親しんだパネルオペレーションとの親和性を持たせた。このディスプレイは「バーチャルパネル」と呼ばれ、その独創性や優れたデザインは高い評価を受け、翌1976年には機械振興協会賞を受賞するなど、国内でいくつかの受賞の栄誉に浴した。こうして登場した「CENTUM」は、効率的かつ安全で安定した操業を実現するシステムとして、オイルショック後の生き残りをかけて減量経営と省エネルギーに挑む製造業のプラントを支え成長していった。1985年12月、発売から10年で1,000システムの出荷を達成したことは、多くのお客様に受け入れられ高い評価をいただいたことの証であった。また、この時期には、環境保全の法規制に対応する自動車用排気ガス測定器と、1976年に開始したGeneral Electric(GE)社との協業による医療機器事業が売上増に寄与し、1975年度に減収減益となった当社の業績は、一時帰休の実施を経験しながらも次第に回復し、1977年度には過去最高の受注高、売上高を達成した。1976年12月には、GE開発のCT(コンピュータ応用X線断層撮影装置)を扱うCT事業部が発足し、1977年9月に製品を発売して医療機器分野に進出した。同分野の成長性を見込み、将来的な国産化もにらんでの決断であった。同事業は好調な滑り出しをみせ、1978年にはGE製ガンマカメラ3種、1979年にはバスキュラーシステム(循環器X線撮影装置)を製品群に追加した。同事業部は1980年にME(Medical Equipments)事業部へ改称、さらに自社開発の超音波診断装置、全身用CTスキャナも加え、1982年にはGEとの合弁である横河メディカルシステム株式会社(YMS、現GEヘルスケア・ジャパン株式会社)へと発展した。 当時、当社の改善点として、売上債権回収の遅さと棚卸資産(在庫)の多さが指摘されることが多かった。債権回収の短縮化は通常の営業活動で改善が進められたが、在庫の圧縮には多品種少量生産に適した生産の仕組みの再構築が必要であり、まず情報システム、続いて生産ラインの改善を進めることになった。 まず1975年2月に受注管理システムNノップスOPS(New Order Processing System)が、次いで12月には多品種少量生産にも対応した生産情報管理システムPピックスICS(Production Information and Control System)が導入され、さらに両システムの連動が図られた。図面、部品表、部品番号の体系化により標準化が進み、従来の手作業がオンライン業務へ移行され、業務の迅速化、業務効率の改善が大きく進んだ。1978年から生産ラインの抜本的な見直しが始まり、Just in Time生産方式を導入する実験も行われた。1980年には「コスト2分の1」が全社の目標となり、翌1981年にはNPS研究会に加入、設計から部品生産、完成品組立、出荷に至るまでの業務について全体最適の視点で改革を行うNナイプスYPS(New Yokogawa Production System)の導入が始まり、現場の体質強化の取り組みが進展した。 さらに、情報処理システムとして1982年に新オーダー処理システム(CコスモスOSMOS)、1984年にはCOSMOS-B(計測)、1985年には新原価管理システム(NナイスYCE)、新調達管理システム(NニクモスICMOS)が稼働してNYPSの展開を支えた。企業体質の改善医療機器分野への進出排気ガス測定器CO/HCテスタCENTUM1,000 システム出荷式自社開発の全身用CTNOPSスタート
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