46 1980年代に入り、将来の国内でのプラント新設の飽和を見越して、当社は海外に新たな市場を求めようとしていた。ところが、半導体やコンピュータ技術、そして資本力で優る総合電機メーカーが国内外の工業計器分野に進出し始め、当社にとって大きな脅威になっていた。 こうしたなかで、当社は業界3位であった株式会社北辰電機製作所との合併を決断する。 北辰電機製作所は1919年に創業、工業計器分野では温度計を初めて国産化した歴史をもつ。プロセス制御用電算機でも初の国産化を達成、合併当時は差圧伝送器や電磁流量計において国内トップシェアを得て、当社とともに工業計器専業3社の一角を占めており、その技術力は高く評価されていた。 この合併は、危機感を共有したトップ同士の信頼感のもとで決断された。目的は両社の優れた人財が一体 となり、専業メーカーならではの「きめ細かい対応」ができるという特長を生かして競争に勝ち抜き、海外でも通用するトップメーカーになることであった。 1983年4月1日、横河北辰電機株式会社が誕生した。社長には横河正三が、副社長には清水正博元北辰電機社長が就任し、社員約5,800人、年間売上約1,200億円(計画)で新たな一歩を踏み出した。 横河正三は新会社のスタートにあたって「一人はすべてのために、すべては一人のために」という自らの経営哲学を訴えて、社内の早期の融和による合併の効果を生み出そうと呼び掛けた。当然ながら融和は難事業であったが、トップが「合併比率は資産や株価から決めたが人財と技術は対等だ」との考え方を、人事制度や行事などさまざまな施策を通じて徹底させたことで融和が進展し、業績も市場シェアも上向いていった。 合併に伴い、営業部門は新宿センタービルと並んで 新宿NSビルに拠点を設けた。本社には新オフィスビルや新工場を次々に建設、旧北辰電機の本社であった 下丸子工場も1985年には売却し本社への集結を終えた。 こうした状況で1986年にCI(Corporate Identity)を導入して、社名を横河電機株式会社へ、また、外国人が覚えやすく理解しやすい現在のシンボルマークとブランドロゴへと変更した。1988年には合併の仕上げとして企業理念を制定した。 両社の合併による技術の集約と規模の拡大のメリットは、新分野への進出、新製品発売ラッシュ、さらには短期間での 多数の海外拠点設立といった形で具現化されることとなった。 YOKOGAWA’s History —— Chapter 3北辰電機との合併合併調印で握手を交わす横河正三(左)と清水正博横河北辰電機ロゴ1986年に制定されたシンボルマークとブランドロゴ1956年に横河電機が開催した国内初のオートメーションの専門展 「計測とオートメーションへの招待」での展示。北辰の製品も紹介した。
元のページ ../index.html#48