100周年記念誌「時代を超えて-Always Reaching Higher-」
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安藤電気の主力製品の一つ、光スペクトラムアナライザ安藤電気株式取得の発表会にて。右は安藤電気社長(当時)の本橋正夫現地化が進み海外大型案件の受注も増加した52 1998年は戦後最悪の国内のデフレ不況、アジア通貨危機などで当社は大幅な減収減益となった。こうした苦境のなか、1999年6月に美川社長が病没し、内うちだ田勲いさおが社長に就任した。 翌2000年、国内市場の構造 変化とグローバル競争の激化を踏まえて、新長期経営構想「VISION-21&ACTION-21」を発表した。「健全で利益ある経営」の実現に向けて、2005年に達成すべき利益目標を掲げ、計測・情報分野を伸ばして制御分野と合わせて3本柱とすることを目指した。 計測分野では2001年に安藤電気と提携、2004年に事業統合した。光計測器と半導体テスタが加わった計測機器事業は、2003年度、通信・測定器事業とATE事業に再編され、ATE事業は販売を拡大し全社利益確保に貢献した。 情報分野ではIT企業との提携などによって多くの 新事業プロジェクトに取り組み、必要な人財を制御事業の体制を見直すことで確保した。リスクのある新事業へのチャレンジを促進するスキームも確立し、経営陣自らこれにあたった。 2001年は米国のITバブル崩壊や、9.11同時多発テロの影響で、市場環境が急激に悪化した。当社では経費の大幅削減、給与カット、一時帰休などの実施で赤字回避に努めた。また、2002年から2004年にかけて国内の生産拠点19工場を4工場に再編し、調達・生産・物流のグローバル体制の再構築を行った。2015年11月時点で制御事業、計測事業の製品をグローバルに供給する集中生産拠点が日本を含め5カ国に7拠点、消費地生産拠点が6カ国7拠点、その他製品の生産拠点が日本に5拠点の体制に整備。また、国内 関係会社の整理統合もなされた。 これと並行して、財務基盤の立て直しも進めた。日本 ヒューレット・パッカード(元横河・ヒューレット・パッカード)の株式売却やGE横河メディカルシステム(元横河メディ カルシステム)の優先株転換によって得た資金の一部を、 退職年金過去勤務債務積立不足の一括償却、子会社再編の 特損の処理に充て、財務の健全化を一気に進めた。 海外では、1980年代からの現地拠点の育成、製品の優れた信頼性により、大型プロジェクトの受注が増加していたが、新興国、資源国を中心とした大型プロジェクトに対応できるエンジニアリング体制の確立も課題となっていた。当社の お客様第一、品質第一の姿勢は多くのお客様から支持を得ていたが、従来の拠点別のオペレーションでは大規模かつ長期のプロジェクトに対応するには不十分なことは明白で あった。そこで2001年、シンガポールにGESC(グローバル・エンジニアリング・ソリューション・センター)を設立、 インドや中国、フィリピンのエンジニアリング拠点との一体オペレーションを開始した。この体制は、コスト削減だけでなく、ノウハウの水平展開による品質向上にも貢献した。 2000年代前半には、当時中国最大の石油化学コンプ レックスのプロジェクトを受注。これは、当社がMAC(Main Automation Contractor)となった初めてのプロジェクトで あったが、多国籍のメンバーを集結して完遂し、お客様から高く評価されたのもGESCの成果であった。YOKOGAWA’s History —— Chapter 4ITバブル崩壊と構造改革エンジニアリング競争力の強化利益の出せる体質を目指した新長期経営構想内田 勲

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